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PARCO出版

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「友情もあるねぇ。〜書店員と作家とこどもとみんなたち〜」  連載第3回 花本 武(ソーダ書房)

「友情もあるねぇ。〜書店員と作家とこどもとみんなたち〜」
連載第3回 花本 武(ソーダ書房)

書店員&詩人・花本武(社長)と、作家・山崎ナオコーラ(副社長)の二名で構成された、稀有な組み合わせの夫婦ユニット「ソーダ書房」による初連載。 社長による「詩とエッセイ」、副社長の「解説」で交互に綴る、書店や作家業、育児のことetc. 隔週月曜日更新予定

      


「セッションの時間」


セッションをしよう
セッションを
太鼓をたたけ
ぎゃあぎゃあさわげ


セッションしなよ
笛ふいて
ピーピー鳴らせ
ドタドタ歩け


セッションたのしい
あきずにやるよ
無心におどれ
むしんってなに?


楽器はおもちゃ
ガンガン鳴らせ
おなかがへった
セッションおわり

「友情もあるねぇ。〜書店員と作家とこどもとみんなたち〜」  連載第3回 花本 武(ソーダ書房)

 やけにもずくが好きなので「もずく」ということにしよう。もずくは、というかこどもたちは音が鳴ると知ると鳴らす。やみくもに叩き、こすり、喜ぶ。音の出るおもちゃ、というものがいろいろある。パトカーのボタン押したら警笛がプァーって鳴るようなやつも愉しいが、そんな手の込んでないやつでも大喜びだ。
 私は音楽が好きだけど、楽器は一切できないし、楽譜読めないし、歌うのも下手だ。コンプレックスがあると言っても過言ではない。音楽を勉強しよう、とはおもうことはないが、音楽を好んでるんですよ、私は、と示しておきたくなるときがある。
 トライセラトップスの和田唱は、父、和田誠が所有するレコードを日常的に家庭内で聴いて育ったらしい。『親馬鹿子馬鹿』という本で知った。和田誠が所有するレコード。いかにも質が高そうな感じがする。
 こどもに対して、ああなって欲しいとか、ついかんがえる。自分が好きなものをこどもにも好きになってもらいたい、という願いは持ちがちだ。そんなわけで、私はもずくに、自分よりも素直な気持ちで音楽を好きになってもらえるといいなあ、とかかんがえている。
 オーストラリアのたぶんシドニーにあるオペラハウス。印象的な建築だ。そこでコンサートがある。その舞台にもずくがいる。激しくドラムを叩いている。客席に妻と私がいる。たまに頭をよぎるその絵面。ずいぶんテキトーな妄想じゃないか。
 才能を伸ばしてやりたい、というのも親はよくおもう。輝かしい達成には小さなころから親の働きかけがあったりして、そんな話はよくきく。私が目指すのは輝かしい達成ではなく、音楽をまっすぐ好きになってくれる、愛し方の作法みたいなやつだから気楽だ。
 和田誠が所有するレコードである必要はない。小室哲哉率いる90年代のメガヒットユニット、globeのCD。おもわず身体が動くサウンドだ。自分にとって慣れ親しんだ、しっくりくる音楽。聴かせてみる。はたして、もずくは身体をくねらせたのだ。感動した。小室サウンドすごい。


 パターンを覚えて繰り返す。苦手なことだ。パターン習熟のために脳のある部分を使うことが苦しいのだ。要は何かを覚える、という能力が低い。で、暗記というものが嫌いなのだ。それらは読書にあまり支障がないので、ずいぶんたすかっているんだけど、まともな能力があればもっと深く豊かな読書ができるんだろう、ともおもう。
 自分が幼稚園児だったころだ。園児たちで演奏する発表会に向けた練習をしている。私の担当はシンバルだった。自らの希望だったのか定かではない。重要な役割だ。シンバルでかい、音もでかい。ジャーンと鳴らすタイミングをとなりで先生が合図してくれる。学習した。先生の合図がなくても自分でタイミングを計れるようになり、本番が来た。シンバルをかまえる。先生が客席からは見えない袖で横に立って、合図をしてくる。こども心に憤慨した。自分は覚えたのだ。結局合図を無視できず、先生に従って演奏を終えた。

 その体験のせいで楽器の練習および演奏が不得手になってしまった、ということにしている。しかし私にはステージで脚光を浴びたい欲望がある。いろいろなこじれた寄り道の末に、詩を朗読する、という手段に至った。これは妙手だったな、とおもう。詩の朗読、ポエトリーリーディングは暗記の必要がないことを特に気に入っている。
 ひまだったから詩を朗読するイベントや集まりみたいなものに顔を出しまくっていたのが20年くらい前のこと。ある晩。高円寺の雑居ビル、和民とかよりもきいたことのない名前なんだけど、チェーン店っぽい居酒屋が詰まってるようなところの一室で、イラストレーターのいかにも自由人って感じの人が主宰する詩人の集まりがあった。どっかで顔を見た人もいたけどほとんど他人が6人か7人。主宰者が今日はセッションをやろう、と宣言した。その部屋には民族楽器みたいのが無造作に散っていて、誰かが持ってきたわけでなくそこにあったようだ。セッション?とおもった。他の人らも即座にセッションしよう!みたいなふうじゃなかったけど、なんとなく誰彼ともなく適当に楽器を鳴らして、主宰者はむしろ控えめに音を出し、ドコドコジャカジャカ、言葉のない時間が過ぎていく。私も小さい太鼓みたいのを素手で叩く。円座になっている。古代だったらまんなかはファイヤーだな、とおもう。左斜めの人のちょっと種類の違う太鼓の音が次第に意識にのぼってきて、呼応したような感じになって、なんだか気持ちが高揚してくる。共鳴なのか、と。ああ、これがセッションか、と。そのような応酬の果て、少し汗をかいたな、と感じたあとになんとなくセッションは収束した。けっこう時間が経っていて、各々解散となる。主宰者が「最後のほうあっちの太鼓と共鳴しておもしろかったでしょ」みたいに声をかけてくれた。はい、と素直な返事をする。あっちの太鼓を叩いてた人は、既に部屋を出ていた。


 もずく、一才の誕生日にタンバリンをあげた。正確にはタンブリンだ。そう書いてあった。けっこう本格的なやつだ。股ではさんで手で叩く小さな赤い太鼓を持っている。これもけっこう高かったし、いい音がする。これは私がバンド活動を挫折した末に残った楽器だ。股にはさまず左手に抱え、おどけた動きをしながら、「もずく、セッションしよう!」と小さな手にタンバリンを握らす。「せっしょん、しよっ」
ジャカジャカドコドコシャンシャンシャンシャン
いいぞ、もずく、のりのりじゃないか。
ジャカドコシャンシャン
とまらない音。
おとさん、せっしょん、するねえ。

   


   


   


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<プロフィール>
●ソーダ書房(そーだしょぼう)
書店員、花本武(社長)と作家、山崎ナオコーラ(副社長)以上二名で構成する組織。本にまつわる諸々の活動を行う予定です。


●花本 武(はなもと たけし)
1977年東京生まれ。都内某書店勤務のかたわら詩作やそれを朗読する活動をたまに行う。一児の父。


●山崎ナオコーラ(やまざき なおこーら)
作家。1978年生まれ。性別非公表。2歳児と夫と東京の片隅で暮らす。著書に、小説『美しい距離』『偽姉妹』、エッセイ『母ではなくて、親になる』など。目標は、「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい」。


挿画:ちえちひろ

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