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「友情もあるねぇ。〜書店員と作家とこどもとみんなたち〜」  連載第10回 山崎ナオコーラ(ソーダ書房)

「友情もあるねぇ。〜書店員と作家とこどもとみんなたち〜」
連載第10回 山崎ナオコーラ(ソーダ書房)

書店員&詩人・花本武(社長)と、作家・山崎ナオコーラ(副社長)の二名で構成された、稀有な組み合わせの夫婦ユニット「ソーダ書房」による初連載。 社長による「詩とエッセイ」、副社長の「解説」で交互に綴る、書店や作家業、育児のことetc. 隔週月曜日更新予定。

 


解説 体とは何か?


 花本さんは、「長年サッカーをやっていたが、サッカーがすごく上手くなったというわけではない」「スポーツに対して得意だという意識は持っていない」といったことを思っているようだ。
 とはいえ、私よりはスポーツができるに違いない。
 改めて思い出そうとしてみたのだが、私はサッカーというものを、一度もやったことがない。ボールを思い切り蹴った、という記憶すらない。野球は、遊びの中で、人数がめちゃくちゃのチームを作り、プラスティックのバットを振る、というぐらいはやったことがあるが、たぶん、バットにボールが当たったことは一回もないと思う。
 体育の授業に組み込まれている球技は仕方なくやっていたが、バレーボールはサーブがいつもネットに引っかかり、絶対に向こう側へ届かないので、私にサーブの順番が回ってくると、同じチームのみんなが無表情になった。バスケットボールでは、籠にボールを入れられないのはもちろん、パスが通ったこともないので、パスをもらわなくて済むような位置にたえず移動していた。ドッジボールでは、ボールを取ろうという努力を一切せずにひたすら逃げ回っていたので最後の方までコートに残ることもあったが、とにかくボールが怖くて、地獄のような思い出しかない。
 球技全般が苦手だった。できないというだけでなく、「楽しい」と思ったこともない。
 だから、自分ができるかできないかに関わらず、サッカーを楽しいと感じたり、チームを応援することに力を注いだりすることができた花本さんを尊敬する。
 小学生や中学生の頃、私が「自分でも割とできるな」と感じていたのは、水泳とスキーとマラソンだった。要は、個人プレーはなんとかなった。
 スイミングスクールに通っていたので、泳ぎはわりと得意で、そのスクールでは冬にスキーキャンプがあったから、スキーもできた。マラソンは習ったわけではないが、体育の先生に「山崎は無駄のない動きをするね」と言われたことがあり、体を動かすのが嫌いな私だったから、労力の少ない走り方ができたのだと思う。
 それで、学校の水泳大会で選手になったり、林間学校でスキーをしたときに学年8位になったり、マラソン大会ではすごく早いわけではなかったが、それなりの順位に入ることができていた。
 でも、そういう「比較的やれたこと」を思い出しても、やっぱりスポーツは自分に向いていない、スポーツは好きではない、という思いが強く湧いてきてしまう。


 なんというか、「スポーツが得意」「スポーツは、得意ではないけれど、好き」という人は、体というものを、もっと大きく捉えている気がする。自分の体のことだけを考えている人は、もくもくと動くことならできるが、「楽しい」とは決して感じられない。人間の体は、決して個人のものではない。他人の指と自分の指の間が途切れていても、みんなで繋がっているものなのではないだろうか。だから、ボールをやり取りしながら運んでいくことに快感があるのではないか。
 他の人の体を、自分の体と同じようなものだ、と強く信じることができる。連動することができる。それがスポーツなのではないか。

 私にはその感覚が欠落している。
 思えば、応援も頑張ったことがない。本気で応援というものをしたことがない。
 高校時代、野球部が甲子園に何回か出場したことのある高校に通っていて、私の通った三年間は甲子園には行かなかったのだが、それでも「強いチーム」ということになっていたので、地方大会で毎年盛り上がった。でも、私は関わりを持たなかった。クラスのみんなが野球部を応援しに行っていたのに、クラスでただひとり、私だけが応援に行かなかったということもあった。
 その他、「プロのスポーツ選手を本気で応援する」「スポーツ観戦で熱くなる」といった経験も一切ない。
 性格が悪いのだろう。とにかく、他人と繋がれない。


 そして、私が体育の授業で一番嫌いだったのは、ダンスだ。
 できなかったし、大嫌いだった。
 私の子どもの頃は、運動会に向けて、変なダンスをたくさんさせられた。
 今の時代は、自由なダンスだったり、自分たちで振り付けを考えたりするのではないかな、と想像するのだが、昔は、「先生の指導に従って練習を繰り返し、みんなで同じ動きをできるようにする」というのがダンスの授業だった。
 「みんなで動きを揃えろ」といった指示を先生から出され、前で踊る先生の動きを真似たり、前列の子と同じことをしようとしたりするのだが、私はなぜかできなかった。「同じことをするだけでいいんだ」と何度も怒られたが、どこが違うのか、なぜできないのか、全然わからなかった。
 マスゲームみたいなダンスもあって、兵隊のような動きを求められたこともあった。
 高校生のときだっただろうか、先生が生徒に歩み寄ろうとしたのだと思うが、安室奈美恵の「Chase the Chance」という当時の流行り歌に合わせて、バトンダンスのようなことをさせられた。バトンといっても、それはサランラップの芯を二つ繋げてビニールテープをぐるぐる巻きにしたものだった。サランラップの芯をまっすぐ前に伸ばして「Chase the Chance」とみんなで揃えて歌わなければならなかった。兵隊のような動き以上に苦痛だった。


 もずくは、ひとりでダンスをしていることがよくある。家で、自作の歌を歌いながら、自分で考えた振り付けで思いっきり踊る。リビングルームで、ソファの上で、布団の上で、飛び跳ねたり、腕を振ったり、笑顔で動き回っている。
 公園や空き地に行くと、はしゃぎまわって、大きな動きをする。
 だから、体を動かすのは好きなのだろうな、と思う。


 楽器が好きなこともあって、三歳になったことだし、「音楽教室に通ってもいいかもしれない」と、先日、体験教室へ出かけた。三歳児が十人ほどいた。
 もずくは、エレクトーンに触れたり、タンバリンを叩いたり、とても喜んでいた。しかし、
 「では、みんなで前に出てきて、音楽に合わせてダンスしましょう」
 と先生に言われたら、動かなくなった。他の子どもたちはみんな踊ったが、もずくはひとりだけ頑としてやらなかった。
 「自由に動いていいんだよ。違う動きでもいいんだよ。いつもみたいなダンスでいいんだよ」
 と言っても、じっとしていた。
 私には、気持ちが痛いほどわかった。
 前に出て、みんなと一緒にダンスなんて、したくない。


 いや、まだ三歳だから、これから少しずつみんなと連動していくのかもしれない。うちにはテレビがなく、兄弟もいないから、「他の子と動きを合わせる」という発想がなかっただけで、友だちと関わっていく中で変わっていくのかもしれない。


 でも、もずくがこの先、ずっとダンスをしないままでも、私は「ダンス嫌いな先輩」としておおらかに見守っていきたいと思う。
 連動することは素晴らしい。だけれども、苦手な人だって生きていていいだろう。

   


   


   


<プロフィール>
●ソーダ書房(そーだしょぼう)
書店員、花本武(社長)と作家、山崎ナオコーラ(副社長)以上二名で構成する組織。本にまつわる諸々の活動を行う予定です。


●花本 武(はなもと たけし)
1977年東京生まれ。都内某書店勤務のかたわら詩作やそれを朗読する活動をたまに行う。一児の父。


●山崎ナオコーラ(やまざき なおこーら)
作家。1978年生まれ。性別非公表。2歳児と夫と東京の片隅で暮らす。著書に、小説『美しい距離』『偽姉妹』、エッセイ『母ではなくて、親になる』など。目標は、「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい」。


挿画:ちえちひろ

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