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「友情もあるねぇ。〜書店員と作家とこどもとみんなたち〜」  連載第11回 花本 武(ソーダ書房)

「友情もあるねぇ。〜書店員と作家とこどもとみんなたち〜」
連載第11回 花本 武(ソーダ書房)

書店員&詩人・花本武(社長)と、作家・山崎ナオコーラ(副社長)の二名で構成された、稀有な組み合わせの夫婦ユニット「ソーダ書房」による初連載。 社長による「詩とエッセイ」、副社長の「解説」で交互に綴る、書店や作家業、育児のことetc. 隔週月曜日更新予定

 


「大いなる趣味」


1000年のこる
趣味をやる
明日でおわる
趣味もある


あしあと研究
しがいある
びろーんとのびる
時間ある


棒きれながめて
手にとって
あしもと地上絵
えがきこみ
ブルーを流して
つながって
海とのさかいめ
なくなって
しずむよ太陽
手をふって
明日のことを
かんがえない


ようやくきたんだ
うわさする
小声のつぶやき
こだまする


あれしてそれして
ここにいて
自分のことを
待っててね

「友情もあるねぇ。〜書店員と作家とこどもとみんなたち〜」  連載第11回 花本 武(ソーダ書房)

 ポメラを買ったんですよ。安い買い物ではない。苦渋の決断を強いられたうえでの購入でした。あんまり勝手が良くなかったり、自分の執筆のスタイルに合わなかったりしたら、その買い物は「浪費」と言わざるを得なくなる。


 買い物が趣味。というのは実にけっこうなことで、積極的に浪費を肯定することができる。貯金が趣味。というのはさらにけっこうなことで、安泰な老後が約束されるかもしれない。私はどちらにも興味を持っている者だが、どちらともままならずに過ごしている。


 先日勤め先の書店主催で、副社長こと山崎ナオコーラさんと柚木麻子さんのトークイベントを行った。その際に柚木さんが山崎さんの小説の魅力として、お金についての描写がきっちり書き込まれているところを挙げてました。
 なるほど、『この世は二人組ではできあがらない』では、金銭の貸し借りによって関係性が変わっていく男女が描かれ、『可愛い世の中』は、経済そのものが大きなテーマとされている。きれい事を排して本音でお金のことを書く姿勢が小説の世界に厚みをもたらしている。
 そのようにお金と向き合っている山崎さんがイベントで語った印象的な言葉を思い出す。仕事をして利益を出し、お金を稼ぐのは重要なこととしたうえで、お金を消費、あるいは浪費することにも大きな意味があり、重要な社会参加となるのだ、という主旨。山崎さんの近著『趣味で腹いっぱい』の内容をふまえての発言。
 趣味に没頭してお金を投じることは、個人的な活動で、ともすれば自己満足にしかならないんじゃないか、ともおもってしまう。でもそうではないのだ。趣味によって動くお金が社会を形成して世界をつくる。


 もずくはお店屋さんごっこが大好きだ。マンションの玄関にレンガが三歳児のおへそくらいの高さで積んである部分がある。そこがお気に入りで、外から帰ってくるとたったったっとその後ろに立って「いらっしゃいませー」とはじまる。何屋さんかわからないので「くださーい」とだけ言う。すると「しょうしょうおまちくださーい」と言ってうしろでしゃがみ込んで、なにやらごそごそ手を動かす。ほどなく「はいどーぞ」と「けーきでーす」のときもあれば「どーなつでーす」のときもある。たぶんイートインなのでその場で「あむあむあむ」と食べて「ありがとう、ごちそうさまです」と伝える。そのあとはじめてのお客さんは、きっと驚く。「はいおかねでーす」と言ってお店屋さんのほうが客にお金をくれるのである。
 もずくの金銭感覚になんだか感動してしまった。お金を払う、もらうもフラットで、どっちかが偉かったりするわけではない。


 『趣味で腹いっぱい』に登場する小太郎の同僚の母親、金氏さんがおもしろい。主人公夫婦が金氏さんの家を訪ねるシーン。とおされた部屋は、どこを向いても奇妙な手仕事による変な調度品があり、夫は笑いをこらえる。

これはなんですか?と聞けば堂々と応える。金氏さんは完成度も他人の視線も気にせずに、趣味をまっとうしている。妻はその姿勢に憧れをつのらせるのだ。


 こどものころに母が描いたイラストが脳裏をよぎる。新聞の片隅に鉛筆で小さく描かれたピエロ。クロスワードを掲載した紙面だったろう。母に解かれて空白のないクロスワードとピエロ。それを発見してすごくはっとした。母の描く絵を初めて見た。母は絵を描かないとおもっていた。なぜか見てはいけない秘密めいたもののように感じられた。「その絵なに?」という言葉が口のなかで詰まる。言ったら母はものすごく恥ずかしがるのではないか、と案ずるような気持ちがして、たぶんその予感は当たっていた。母には趣味がないように見えた。
 そうでもなかったのかもなあ、先日実家を訪ねた際におもった。テーブルにあったハーバリウムのようなものに興味を持った副社長が母に「作ったんですか?」と尋ねると割にうれしそうな顔をしていた。


 父は金氏さんタイプかもしれない。骨董品が好きなようだが、ちょっと古い感じであればなんでも収集する自称D級コレクター。ほとんど買うことはなくて、拾ったりもらったりで膨大なコレクションを形成している。
 こども時代、弟が苦情を訴えた。友人におまえのとーちゃんがゴミ置き場でなんかごそごそやってたぞ、と言われたとか。臼と杵をセットで拾ってきて家族を仰天させたこともある。かついで持ち帰り、ギックリ腰になったのも語り草だ。社交的だからもらう技術も高い。
 なかなか価値が理解されないし、実際あまり価値がないんだが自分の好きな物に囲まれている父は幸せそうだ。コレクション自慢をするときの目はキラキラしている。そして所有に執着しているわけではないから、どんどん人にあげちゃう。楽しそうに手放す。副社長と初めて実家を訪ねたときも新たなもらい手の登場に嬉々としていた。もちろんもずくもそこに連なる。車が大好きなもずくにミニカーコレクションを開放。実家に行くたびに何台かもらってくるので、じわじわとコレクションが移っている。
 もずくのほうがむしろ「所有」にこだわりがあるかもしれない。こちらが何も聞いてないのに「このおずぼん、ばあばにもらった!」とか、まちなかで宅配車をさしてミニカーを思い出し「おじいさんにもらった!」と宣言することがある。律儀だなあ、もずくは。


 かく言う私も父のコレクター気質を引き継いでいる。それが物体ではなく、自分にまつわる記録を残す活動とそれを他人に開陳したくなる欲望としてあらわれているようにおもう。ちっぽけな自分の存在証明を求めているのかもしれない。一般に日記がその役目を果たしそうだ。長らく一年分日付の入った同じものを年末に購入して、几帳面に記していたのだが最近は「10年メモ」を愛用している。デザイナーの戸塚泰雄さんが開発した優れもので、一日一行記入して、10年書き続けたら1ページでその日に自分が何をしていたか、10年分見渡せる。
 部屋にある本棚の40%くらいを購入した書籍ではなく、自分の手がけるファイルブックやらスクラップやらなんか記録したノートが占有している。それはどういったものなのか。
 大いなる無駄が大いなる趣味となる実践例として、いくつか内容を紹介したい。


 一年間限定でテーマを決めてノートを埋めていく。ある年には毎日食べた夜のメニューを記した。買い物の際のレシートを逐一貼りつけたこともあった。その品の感想を一言付した。家計簿とは似て非なる代物になった。
 世にはカルチャーが溢れているから、その中で自分がなにを選びとったのか記録しておきたい。購入した書籍の帯を大きめのスケッチブックに貼っている。

余談ですがCDにも帯がありますよね。あれの形状、くっつき方って帯っぽくはないですよ。で、「湿布」って言い方を私は提唱します。CDの湿布。実状に則したい。
 読了した本、観た映画、鑑賞した美術展などもきっちり記録している。フライヤーやチケットもファイリングしてまとめてある。それらをたまにぼんやり眺めやっていろんなのあったなあ、と感慨にふける時間が幸せで、私の趣味の最たるものかもしれない。


 先日のトークイベント、柚木麻子さんと副社長の座談で趣味と仕事をめぐる興味深いやりとりがあった。気になったのは、柚木さんが個人的に情熱を傾けている活動のことだ。お互いにスクラップを趣味としていることは、確認し合っていた。柚木さんからエールとして貼りやすいスティック糊を送っていただいたことがある。感激至極だった。
 さらにトークの中で、柚木さんが香川照之のイラストを描きためていると知った。テレビドラマでとても激しく土下座を躊躇うシーンなど様々なシチューションを再現させているとか。素晴らしい趣味だな、とおもう。
 私の場合は、「はなちゃん(花本の意)、がんばってねシリーズ」が柚木さんにとっての香川イラストにあたるかもしれない。絵心が皆無なので、素材を雑誌から切り抜いて調達する。宮崎あおいとか蒼井優をそこいらのダンボールの切れ端に貼り、吹き出しを書き込む。宮崎あおいが「はなちゃん、がんばってね」と言う。蒼井優が「どこでもいいよ、はなちゃんと一緒なら」と言う。
 他人からは理解しがたい情熱を持って、お金にならないことに取り組むことができる。それがいわゆる「生産性」みたいなものを重視する風潮から脱け出し、自由になるための条件の一つかもしれない。けれど「自由」ってそもそもなんだろう。


 先に自分にまつわる記録を他人に開陳したくなる欲望がある、と書いた。肥大する自意識がもたらす膨大なコレクション。それらを衆目にさらす催しを2018年の4月に行った。第二回花本武物産展。西荻窪にあるサブカル酒場を一週間借りて、展示したのだ。遡ること10年前に同じ場所で第一回目が行われている。
 順調にいけば2028年に第三回花本武物産展が開催される。多感なティーンエイジャーになっているであろうもずくがどんな顔して父の趣味を見るのか。今から不安でいっぱいだ。
 花本武物産展は準備にたくさんの時間と労力、少しのお金をかけた。友人に手伝ってもらい、友人たちが観にきてくれた。自分だけが楽しめるというだけで、趣味というのは充分に成立するが、他者を巻き込むことで生まれる「グルーヴ」がある。
 理解されることが必ずしも大事だとはおもわない。理解されない、感覚が合わない、差異がある、ということを認め合ったうえで、他者とつながれたときにだけ生まれる「グルーヴ」があるのだ。「グルーヴ」ってなんだよ、という感じが自分でもしているが、とりあえず今はそれを「グルーヴ」と呼ぼう。
 「自由」に限りなく似ている響きで。

   


   


   


 


<プロフィール>
●ソーダ書房(そーだしょぼう)
書店員、花本武(社長)と作家、山崎ナオコーラ(副社長)以上二名で構成する組織。本にまつわる諸々の活動を行う予定です。


●花本 武(はなもと たけし)
1977年東京生まれ。都内某書店勤務のかたわら詩作やそれを朗読する活動をたまに行う。一児の父。


●山崎ナオコーラ(やまざき なおこーら)
作家。1978年生まれ。性別非公表。2歳児と夫と東京の片隅で暮らす。著書に、小説『美しい距離』『偽姉妹』、エッセイ『母ではなくて、親になる』など。目標は、「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい」。


挿画:ちえちひろ

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