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PARCO出版

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「友情もあるねぇ。〜書店員と作家とこどもとみんなたち〜」  連載第5回 花本 武(ソーダ書房)

「友情もあるねぇ。〜書店員と作家とこどもとみんなたち〜」
連載第5回 花本 武(ソーダ書房)

書店員&詩人・花本武(社長)と、作家・山崎ナオコーラ(副社長)の二名で構成された、稀有な組み合わせの夫婦ユニット「ソーダ書房」による初連載。 社長による「詩とエッセイ」、副社長の「解説」で交互に綴る、書店や作家業、育児のことetc. 隔週月曜日更新予定

      


「散歩する絵本」


夜に活字は本を抜け
自由気ままに散歩する
部屋から部屋へ
お風呂場へ
お食事している奴もいる
朝まであそぶ活字たち
読者が起きたら
さあ帰ろう
おはよう
読者
こどもたち
パーティーみたいに毎日を
彩る作戦
会議中

「友情もあるねぇ。〜書店員と作家とこどもとみんなたち〜」  連載第5回 花本 武(ソーダ書房)

 ヨシタケシンスケさんの絵本が大人気だ。絵本作家としての活躍が目覚ましい方だけれど、絵本でブレイクする前の仕事もまた素晴らしい。立体造形、現代美術、笑えるスケッチの名手でもある。絵本作家前夜のヨシタケさんを大々的にフィーチャーしたフェアを行い、スケッチ集のサイン本をたくさん売ったことがある。まあつまり、みんなが知るまえからいち早く才能に気がついてたんですよ、と言いたい。
 そんなヨシタケさんにインタビューをして記事を作ったことがある。私はフリーペーパーを作るのが得意で大好きなので、フェア開催に合わせて、準備をした。その際に伺った話で印象的だったのは、お母様が「文庫」をやっていて、幼少期に豊かな絵本体験を持っている、ということだった。この場合の「文庫」は個人宅などで、蔵書をこどもたちに開放する場のことです。私は不勉強でそういう場のこと、それを「文庫」と呼びならわすことを初めて知った。猛烈にうらやましい。そのような環境で育ったヨシタケさんが、ではなく、私もいつか「文庫」をやりたい!こどもたちに絵本を読むのがやけに上手なおじいさんになりたい。
 で、そのヨシタケさんを絵本作家として、ある意味化けさせた担当編集者さんと雑談を交わす機会があった。子育てと絵本について話題にするなかで、「本にはいろんな種類がありますけど、絵本がいちばんエラいとおもうんです」と私が言うと、どういうことですか? と当然問われる。根拠がないから答えがない。

 その場を曖昧にやり過ごして、話題が移っていく。「エラい」ってなんだ? 絵本がエラいとおもっていることは確かなんだけど、説明ができない。本稿ではその在りかを探ってみたいのだ。


 自分の記憶を掘り起こしてみよう。とりあえずそこからだ。が、手が止まる。ぜんぜん幼少期にふれた絵本を覚えていない。あんまり読んでこなかったのだろうか。まあそもそもぼんやりしていたから、幼少期の記憶が人よりだいぶ少ない気がする。
 そのようにもやっとしたなかで、思い出せるのは、ただ一つ。図書館で発見したとある海外もののシリーズ。正確なところがわからないのだが、判型は小さな正方形、一冊ごとに個別のキャラクターを紹介している。赤い球体に目鼻と手足があったり、青い四角だったりが、う〜ん、バーバパパとかみたいな造形で、もっとミニマルでポップな感じにしたような・・・ってわけがわかりませんよね。とにかくそれを妙に気に入って、けっこうたくさん種類があったんですが、かたはしから読んだ。私は多分にコレクター資質があるんですが、その原体験のような気がする。一体一体のキャラを覚え収集していくような喜びがあったようにおもう。ビックリマンシールを大量に集めるようになるのは、そのだいぶあとのことになる。(驚くべきことに今も集めている!)


 視点を変えて、絵本を販売する現場を見てみよう。絵本を着実に売るための品揃えで重要なのは、定番を切らさないようにすること。昔から売れているものが今も主力商品だ。絵本を選ぶのは主に親であり、自分がふれてきたものを与えがちなので、自ずとそうなる。言ってしまえば、定番絵本は仕入れときさえすれば、売れていくので手がかからず、その分書店員としての技術を発揮する余地がない。どうせなら同時代の絵本をこそ手にしてもらいたい。そのための工夫を楽しみつつ、成果を出したいのだ。


 加藤休ミさんは、そんなふうにして推したい同時代の絵本作家の一人だ。『ともだちやま』刊行の際に、イベントを行って以来、『きょうのごはん』『クレヨンで描いたおいしい魚図鑑』などの展示でもお世話になっている。加藤さんの真骨頂は、見ればお腹がすいてくる食べ物描写にあるとおもう。特にあぶらがのった焼き魚の皮の焦げ具合をクレヨンで表現する技巧にうなる。
 食いしん坊のもずくは、『おさかないちば』と『きょうのごはん』が大好きだ。『おさかないちば』は、お寿司屋さんの大将とその常連客であるお父さんと一緒にきた少年が、早起きして鮮魚市場を見てまわる。お父さん含め三人で行くのではなく、大将と少年が二人で行動する、その関係がなんだか良い。市場が本格的に賑わう少し前の時間帯なのかもしれない。活況の前触れを感じさせて、市場をあとにするのがリアルだ。
 『きょうのごはん』は商店街の群像からはじまる。食材を求めて、買い物を楽しんでいる。食いしん坊の猫がそれぞれのおうちの台所と食卓をのぞいてまわる。「きょうのごはんはなんなのかにゃあ」というわけだ。ページを繰るたびに、おいしそうなごはんが見開きで、湯気や香りを立てんばかりに、描かれる。もずくの反応というか、食いつきが凄くて、文字通りたべものに手をのばして、絵をもぎとるようにして口に運び、モグモグモグとエアで食事をはじめてしまうのだ。最初にそれをやるのを目撃したときは、驚いた。こんなにストレートな絵本の楽しみ方があるなんて。おもわず動画を撮って、加藤さんに送りたくなった。(送ってませんが)


 今がぜん注目している絵本作家がいる。くりはらたかしさん。漫画家なんだけど、絵本の仕事もされている。福音館の月刊絵本で刊行された『ぱたぱた するする がしーん』に衝撃を受けた。問答無用で視覚的に聴覚的にも快楽をもたらしてくれる。謎のヘリが謎の物体を吊るしてとんでいる。するすると謎の物体は吊り上げられ、「がしーん!」とヘリに納まる。物体は品を替え、幾度か「がしーん!」までの過程が繰り返される。私はラストに鳥肌が立った。それまでと違うベクトルへと眼球が誘われ、呆然とする。これは、とんでもない実験作なのではかなろうか。シュールな夢か、哲学的妄想の顕現か、ナンセンスとアナーキーの極北なのか、と混乱しつつ感動した。当然のことながらもずくの反応は、ぜんぜん違う。「がしーん!」と声を立てるたびに、「ギャー!」と絶叫する。何かが何かにピタッとはまる気持ちよさを存分に味わっているようだ。御託抜きの絵本を御託抜きで楽しめるもずくをまぶしく感じたりした。


 絵本の売り場に立っているときに、よく受ける問い合わせがある。それは、この絵本は何歳児向けですか? というものだ。店員としての分際ではないのだが、そんなことは気にせずにあなたが良かれとおもったもの、こどもが喜びそうだとおもうものを選べばいいではないか、などとおもったりした。実際に問われた際に、その気持ちを伝えたことがある。補助しながら背伸びの読書を促してあげてもいいし、やさしい絵本を気に入るならそれを繰り返し読むのもいいとおもいますよ、と伝えてみた。訊かれたことに対応しない接客になっていた、と反省するも絵本に対する偽らざる私の所感ではある。しかし自分がこどもに絵本を与える立場になってみると、なるほど何歳児に向けて作られたものなのか、大いに気になる!やっぱりそこ知りたいよ。カバーなどに何歳児向けか銘記してある絵本はごく一部だ。わからなかったら、売り場でページを開いて、お客さんと共に検討するようにしよう。絵本の吟味はそれ自体で楽しいことでもあるのだし。


 幼少期の絵本体験をぜんぜん語れない私だが、今は浴びるように絵本を読んでいる。読み聞かせている。部屋中に絵本が散乱している。福音館書店の月刊絵本を毎月買うし、ベネッセのこどもチャレンジもやっているので、その絵本も増えていく。副社長との取り決めがある。もずくからの絵本要請が入ったら、「あとで」はなし。大人の下らない作業の手は止め、即刻膝にもずくを乗せる。もずくの今は今しかなく、私の今も今しかなく、もずくと私たち一緒の今も今しかない。絵本で感受性を育む、みたいな言説が嫌いだ。勝手気ままに、楽しませていただくし、そもそも「読み聞かせ」という語にある「やってあげてる感」も馴染まない。私だって絵本を楽しむのだ。
 もずくは寝るまえに必ず、読み聞かせをせがむ。「これよんでー」と言って持ってくる。お布団に寝っころがらせて、読んでやる。「つぎこれよむの」がエンドレスでつづき、夜が更けていく。もずくも読んでやった絵本のことなんてすっかり忘れちゃうかもしれない。まあいいさ、絵本はいつでもそこにある。

   


   


   


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<プロフィール>
●ソーダ書房(そーだしょぼう)
書店員、花本武(社長)と作家、山崎ナオコーラ(副社長)以上二名で構成する組織。本にまつわる諸々の活動を行う予定です。


●花本 武(はなもと たけし)
1977年東京生まれ。都内某書店勤務のかたわら詩作やそれを朗読する活動をたまに行う。一児の父。


●山崎ナオコーラ(やまざき なおこーら)
作家。1978年生まれ。性別非公表。2歳児と夫と東京の片隅で暮らす。著書に、小説『美しい距離』『偽姉妹』、エッセイ『母ではなくて、親になる』など。目標は、「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい」。


挿画:ちえちひろ

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