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「友情もあるねぇ。〜書店員と作家とこどもとみんなたち〜」 連載第1回 花本 武(ソーダ書房)

「友情もあるねぇ。〜書店員と作家とこどもとみんなたち〜」
連載第1回 花本 武(ソーダ書房)

書店員&詩人・花本 武(社長)と、作家・山崎ナオコーラ(副社長)の二名で構成された、稀有な組み合わせの夫婦ユニット「ソーダ書房」による初連載。 社長による「詩とエッセイ」、副社長の「解説」で交互に綴る、書店や作家業、育児のことetc. 隔週月曜日に更新予定。

   


「町の本屋に勤務してます。」


町の本屋に勤務してます。
本棚だらけの職場です。
本のまわりに人があつまるところです。


好きなものに囲まれた暮し、
などというけれど
こっちなんかは
職場に好きなものがいっぱいで
なんだか申し訳ないんです。


とはいえ仕事は右往左往
本のまわりをうろうろしてる。
お探しの本はこちらでしょうか?
いいえ、ぜんぜん違います。


町の本屋の危機ですか?
そういう話もありますか。
深刻ぶらずに申告すれば
なんにも心配してません。
本のまわりをうろうろしてりゃ
だれかになにかをわたされる。
今日も明日も明後日も
手渡す本はなくならない。

「友情もあるねぇ。〜書店員と作家とこどもとみんなたち〜」 連載第1回 花本 武(ソーダ書房)

   


 自分のことと自分のまわりのことを書いていきたい。文章で人になにかを伝えるのは、私にとってとても難儀なんですが、一方で知ってもらいたい、書いたものを読まれたい、そして感心していただけるのであれば、褒められたいと願っている。そのような次第でつらつら綴っていくので、お付き合いください。
 冒頭に詩を置いている。詩、読むのも書くのも好きで、こちらは難儀ではない。詩ばっかり書いていたい。がそうもいくまい。そのような次第で私はなんらかのテーマを設け、詩とエッセイを書く。それに応答する形で妻もエッセイを書く。それを一セットとして連載していく。妻はプロの書き手なので、そこにバリューがあります。そっちだけ読もう、と横着せずに伴わせて読んでください。すると面白さが倍増します。するはずなんです。そのような夫婦共作となります。
 
 現在、家族三人で暮らしを営んでいる。こどもは二歳。毎日なんらかの新しいボキャブラリーを得ているようで、その言葉の発露を夫婦は注視している。子育てをしている。と言うのが本当のようにおもえない。「育てる」は大袈裟に感じる。しばらくのあいだ一緒に暮らし、見守る。
 さて、私はかれこれ15年近く、吉祥寺の商店街にある書店に勤務している。正確な勤続年数がよくわからない。さいきん自分の年齢もあやふやになる。そういえば親に年齢を尋ねたら、わからない、と言われた少年時代、それはおかしいだろう、とおもったものだけど、今ではさもありなんという気がする。母親の年齢は私の弟と同じ、ということになっていた。
 よくつづけているなあ、と他人事のようにおもう。これ以上につづいた仕事はない。自己最長記録を更新中だ。どんな仕事もそれぞれに大変で、当然本屋の従業員も大変な部分がたくさんあるんですが、自分の適性とマッチングした大変さに出会うことが出来てラッキーだったのだろう。
 
 興味のない人も多いでしょうけど、私が町の本屋に勤務するようになるまでの遍歴を簡単に書いておこう。高校時代からだ。都内の自由な校風を持つ公立校で、かなり熱心なサッカー部員だった。が膝の怪我で手術、入院したりして活躍しなかった。部活の挫折とはあまり関係なく、精神的な大不調もあって、休学がちであった。あまりおもいだしたくないからか、記憶があやふやなのだが、3年間の半分通ってたかどうかで、よく卒業できたものだという感慨が湧く。

 勉強する意欲も消えていたので、大学を受験せずに親にお金を出してもらって専門学校に通うことにした。このころのこともおもいだしたくないし、ここに書くのもつらいから記憶があやふやなんだけど、声優になるための授業を受けていた。根拠のある自信があった。小学校の最後の年に上演した影絵劇「ごんぎつね」で兵十の声をあてて、低学年児童を感涙させた経験だ。それが進路を誤らせた。一年通ってやめた。また精神的にもまいって、しばしひきこもる。
 それから夕方二時間だけビルメンテナンスのバイトしたり、自動車教習所に通ったりした。そういうまあ言わばモラトリアム期を経て、次へ進むきっかけは、本だった。
 山田詠美『風味絶佳』という連作短編集を読んで、肉体労働をしよう、とおもいたった。そのときの自分にはとにかくそうおもわせる小説だったのだ。で、職安に斡旋してもらって、バイトしてたところとは別のビルメンテナンスの会社に就職した。荒いスポンジのついたでかい輪っかをすごい勢いで回転させるポリッシャーで床をピカピカにしたりする日々を四、五年過ごしたら、もうなんだかイヤになってしまった。
 また職安に行き、荻窪にある印刷工場の仕事を見つけ、実家を出ることにした。西荻の駅前にあった不動産屋で一番家賃の安い部屋を紹介してもらい、入居した。そこには結婚するまで住みつづける。出版への興味で印刷を志向したわけではなく、条件がちょうどよかった。同僚が印刷の仕事はレジスタンスが担ってきた歴史がある、みたいな話をして、それは格好いい、とおもった。でも仕事はきつかった。シルクスクリーンを手刷りする職人の世界。道具を自前で加工して野球ボールに「王貞治」と刷り込む仕事は、人に来歴を話す際の鉄板ネタになったので、いまここにも記した。一度仕事から逃げて携帯を切り、なぜか佐渡ヶ島におりたったことがあった。島滞在は15分。その戻り便に乗船しとかないと大変なことになりそうだったので、日和った。実に中途半端な逃避行だった。それがクセになった。なんというかディスカバージャパンだったのだ。その後、一人で国内のどっかをビジネスホテルで一泊してウロウロするというのを頻繁に行うことになる。
 翌日の出勤をひどく億劫に感じながら西荻のマクドナルドで新潮文庫『萩原朔太郎詩集』を読んでいたら、閃いた。辞めよう。コンビニでレターセットを購入し、マクドナルドに戻り辞表を書いて、歩いて職場のポストに投函し、こんどは南、新幹線で福岡へ。ずいぶん栄えた街なんだな、と夜景を眺めておもった。
 20代も後半になっていた。貯金はまあまあった。時間はいっぱいあった。日本橋から京都四条大橋まで歩いてみた。東海道を行脚したくなったのだ。すごく疲れたので、帰りは新幹線つかった。
さて、何をしようか、と。次は一生つづけられるような仕事をしたいものだとは、漠然とおもった。
 部屋。本棚があり、本が収まっている。愛着のある本があり、そうでもないものがある。巻数もののマンガを自分の小遣いから買うようになったころ、小学生の最後のほうか。床に表紙を見せてズラリと並べて愛でるのが好きだった。新しい巻を買うたびにズラリとやる。

 現在の自分の本棚を整理しはじめた。背表紙を見つめ、手が止まらなくなる。高さで揃え、著者を集めて、やっぱり止して、頭のなかに漠然と理想を描きながら、ああでもなく、こうでもなくシュッシュッシュと本を抜き差ししていく。そのときに、アドレナリンのようなものが分泌するのを感じた。茂木健一郎さんだっらアハ体験と言うだろう。西荻の小さな部屋で一人静かに興奮していた。これは……飽きないぞ!本屋でアルバイトからはじめてみることをおもいたった瞬間だ。本屋の仕事がどういうものであるのか知る由はない。どこかのお店の背より高く、明るい本棚の前に立って、シュッシュッシュッと本を抜き差しする自分をイメージした。わるくないのではないか、と。
 ブックオフの面接に落ちたあとに、増床で人員を募集していた吉祥寺の本屋、いまの勤務先に履歴書持っていった。夏、東海道を野宿とかもしながら歩きどおしたあとだったので、汚く日焼けして、げっそりしていたし、頭を丸くしていたんで風貌キツい自覚があったから、笑顔を絶やさず当時の店長に働く意欲を示した。そいじゃ、明日からおいでよ、とあいなり、翌日から書店員(アルバイト)となった。
 
 簡単に書くつもりだったんだけど、すごく長くなってしまった。それからの書店員としての仕事のことは、またどっかのタイミングで書くことになるはずです。
 では、また。

   


   


   


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<プロフィール>
●ソーダ書房(そーだしょぼう)
書店員、花本武(社長)と作家、山崎ナオコーラ(副社長)以上二名で構成する組織。本にまつわる諸々の活動を行う予定です。


●花本 武(はなもと たけし)
1977年東京生まれ。都内某書店勤務のかたわら詩作やそれを朗読する活動をたまに行う。一児の父。


●山崎ナオコーラ(やまざき なおこーら)
作家。1978年生まれ。性別非公表。2歳児と夫と東京の片隅で暮らす。著書に、小説『美しい距離』『偽姉妹』、エッセイ『母ではなくて、親になる』など。目標は、「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい」。


挿画:ちえちひろ

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